マティルデ・フォン・バイエルン (1877-1906)
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マティルデ・フォン・バイエルン Mathilde von Bayern | |
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マティルデ(1905年) | |
出生 |
1877年8月17日 バイエルン王国、リンダウ |
死去 |
1906年8月6日(28歳没) スイス、ダボス |
埋葬 | バイエルン王国、シュタルンベルク、聖ペトロ・聖パウロ教会 |
配偶者 | ルートヴィヒ・ガストン・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ |
子女 |
アントニウス マリア・インマクラータ |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | バイエルン王ルートヴィヒ3世 |
母親 | マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=エステ |
宗教 | キリスト教カトリック |
マティルデ・マリー・テレジア・ヘンリエッテ・クリスティーネ・ルイトポルダ・フォン・バイエルン(ドイツ語: Mathilde Marie Theresia Henriette Christine Luitpolda von Bayern, 1877年8月17日 - 1906年8月6日)は、バイエルン王国の王族、バイエルン王女(Prinzessin von Bayern)。
生涯
[編集]のちにバイエルン王ルートヴィヒ3世となるバイエルン王子ルートヴィヒと、その妻のオーストリア=エステ大公女マリア・テレジアの間に三女として生まれた。1900年5月1日、ミュンヘンでザクセン=コーブルク=コハーリ家の公子ルートヴィヒ・ガストンと結婚した。ルートヴィヒ・ガストンは最後のブラジル皇帝ペドロ2世の孫息子である。
1906年、肺病のために28歳の若さで亡くなった。
子女
[編集]夫ルートヴィヒ・ガストンとの間に1男1女をもうけた。
- アントニウス・マリア・ルートヴィヒ・クレメンス・オイゲン・カール・ハインリヒ・アウグスト・ルイトポルト・フランツ・ヴォルフガンク・ペーター・ガストン・アレクサンダー・アルフォンス・イグナティウス・アロイジウス・スタニスラウス(1901年 - 1970年) - 1938年、Luise Mayrhoferと結婚。
- マリア・インマクラータ・レオポルディーネ・フランツィスカ・テレジア・イルデフォンサ・アーデルグンデ・クレメンティーネ・ヒルデガルト・アンナ・ヨーゼファ・エリーザベト・ザンクタ=アンゲリカ・ニコレッタ(1904年 - 1940年)